41巻の表紙でひとりだけ背丈が小さいのが、最近かなりツボ。かわいすぎるっ。小南ちゃんより小さいんですねえ。旦那のほうが背が高いので、これは実年齢(と表していいのかしら。)版なんだろうなぁと、ひとり遅咲きの春(笑)を楽しんでます、はい。身長差がたまらんvv
眉尻を下げすぎた、結い上げてる髪が多すぎかも…(このままじゃパチリスしっぽみたいに大きくなってしまいそう…!そして後ろの髪も多い…)などと反省点いっぱいですが、次回に持ち越しってことで。。。(まだかくつもりでごめんなさいっっ)

この辺から絵と全然関係なくなります…↓(検索 避けのためにところどころ不自然なスペースがあってすみません)
39巻で暁に入る場面が出てきますが、そのとき傍らに仁王像みたいなのが据えられてるのを見ると、いつも漱 石の『夢 十 夜』の第六夜を思い起こします。明治の世にあって運 慶が仁王を彫る話。
文明 開化や文化に関することが主題のようなんですが、自分に一番残ってるのは、手元に本が今ないので不正確ですが、木を仁王の顔容に彫るのではなく、木の中に埋まっている仁王を掘り出すんだ、みたいな言葉でした。たぶん掘り出すって表記だったと思います。
ほりいだすと私は勝手に読んでいるのですが、木のなかに仁王を見る・その偶然のような、強い必然のような気づき、その気づきが惹起する丹念かつ無心な態(さま)を想像しては、なにかをつくるってこういうことなんだろうなあ、とよく思っていました。
今でも、文は書くものであるばかりではなく、時として何かを書きいだすものであったらよいな、と思っています。