今日は十数年来の友人の命日でした。
二年前、その友人が亡くなったことを電話で伝えてきてくれた友達。なにから始めていいのか困惑してたその子は「誕生日のプレゼント、遅くなってごめんね」の言葉から話を始めた。電話だから見えないけど、今思えば、泣きそうなのと、何も知らないあたしが「そんなのいいよ〜」と言うのに笑って答えるのとで、心の中はぐらぐらだったんだろうなぁ。だるま落としとかみたいに。そして静かに始めてくれた友人の訃報。左耳にこびりついた。
法事のほうはお身内の方だけされるのでいつも日をずらして友人の御宅にお邪魔させてもらうのですが、その旨ご連絡すると、電話の最後に、友人のお父様がいつも「いつもありがとうございます」と仰って下さる。わたしは、いや、そんな・・・と思っていたのだけれど、友達だから会いにくるなんて当たり前だと思っていたのだけれど・・・。誰の悲しみが誰より重い、強い、大きい、なんて比較の話じゃなくて、家の悲しみは深いことに気づいた。深くて大きい。あたしのような人間の悲しみまで日ごろ預かってくれてるような気がするくらい。友人の御宅をあとにしてまた個々の日常に戻るあたしたちの背中を見送り、悼む気持ちを預かってるような気がするくらい。
12月にはそんなことがそこらじゅうに滲んでてグレーの雲や時雨を誘うかのよう。